《 フィルム時代〜(1925-1950) 》
フィルムの技術の発展にともなって、カメラ本体の性格も大きく変わりました。それまでのカメラは、大きなプリントを得るにはフィルムのサイズも大きくする必要がありました。このため、カメラ自体がたいへん大きく、ふつうの人が持って歩くというより、写真屋さんのためのプロの道具でした。 次にこの事情を一変させたのが、ドイツのオスカー・バルナックによる小型カメラの開発です。バルナックは、当時映画用に使われていた長いロールフィルムを1.7mに切断し、小型の入れ物(パトローネといいます)に入れて使うことで、かばんやポケットに入るサイズの高性能カメラを考えました。 これが1925年、エルンスト・ライツ社から発表された「ライカA型」で、その後のフィルム式カメラの基本となりました。現在でももっとも多く使われている35mm幅(はば)のフィルムはこのとき誕生した規格です。 カール・ツァイス財団の呼びかけに光学メーカー4社が合併して誕生したツァイス・イコン社は、 画面サイズ「6×9センチ」のロールフィルムを使用するスプリングカメラ(バネの力でカメラの上ブタが開き蛇腹が展開されるカメラ)を製造しました。 1928年にドイツのフランケ&ハイデッケ社が画面サイズ6x6センチの二眼レフカメラ「ローライフレックス」を発売、二眼レフカメラの原点となっています。
カメラ名 ライカA型・B型 製造国名 ドイツ・エルンストライツ
製造年月 1925年 フィルムサイズ 2.4×3.6p 135判
シャッター フォーカルプレン 1/20〜1/500 レンズ エルマー F3.5 50mm


ライカの市販第一号機は、1925年発売のライカA型である。当時のカメラは、大サイズの乾板を使うプレートカメラが主流だったが、ライカは映画用35ミリを使い、映画の2コマ分に当たる24×36ミリという小さなフィルムサイズをを採用。画質の問題が懸念されたが、レンズの高性能化を図ることで、これを解決した。つまり「小さなネガから大きなプリントを得る」という発想で、それまでのカメラの概念を塗り変えることに成功したのだ。  A型発売の翌年、B型が登場する。このカメラは、低速シャッターが使えないA型の欠点を補うため、コンパー製レンズシャッターを搭載。ただしフィルム巻き上げとシャッターチャージが連動しておらず、二重写しや空写しの危険性があるばかりか、速写性にも劣るため短命に終わる。
カメラ名 ライカC 製造国名 ドイツ・エルンストライツ
製造年月 1930年 フィルムサイズ 2.4×3.6p 135判
シャッター フォーカルプレン 1/20〜1/500 レンズ エルマー F3.5:.5 cm


1930年に登場したC型は、ライカで初めてレンズ交換に対応。このとき初めてねじ込み式のライカスクリューマウントが採用された。ただし最初はフランジバックが統一されておらず、ボディごとに調整された専用レンズしか使えなかった。これでは不便なので、まもなくフランジバックを統一。ライカスクリューマウントの規格が完成した。
カメラ名 エルノマックス・エルノフレックス 製造国名 ドイツ・エルネマン
製造年月 1926年 フィルムサイズ 4.5×6p アトム判
シャッター フォーカルプレン 1/20 - 1/1000 レンズ エルノスター f1.8, 125 mm


ピントは目測、ヘリコイド式。フォーカルプレーンシャッターはスリット幅と幕速を変更することで1/20-1/1000秒。アトム判の他パックフィルム、127フィルムを使用するロールホルダーが存在する。エーリッヒ・ザロモンに使用されたことが有名である。当初はリジッドボディーであったが後には折畳式になっている。エルマノックス・レフレックス(Ermanox Reflex 、1926年発売) - エルマノックスを一眼レフ化したもの。
カメラ名 パテントエッツイ 製造国名 ドイツ・カメラヴェルケシュルテンl
製造年月 1925年 フィルムサイズ 6.5×9p 大名刺判
シャッター Dial-set Compur 1 - 1/250 レンズ テッサー F4.5 105mm


 薄型カメラは1910年ごろに最初の流行があり、第一次大戦後再び人気を集めるようになり、口火を切ったのパテントエッツイであり、スリムなコンパクトデザインが好感を持たれ、後期はふっれーむファインダーがついている、また蛇腹のカラーバリエーションもこのほかにレッドやグリーンなどもあった。
カメラ名 フォクトレンダーフレクトスコープ&
ハイドスコープ
製造国名 ドイツ・フォクトレンデル
製造年月 1923-28年 フィルムサイズ 6×13p 
シャッター コンパーステレオ B,1〜1/250 レンズ ヘリアー 65mmF4.5


ドイツ・フォクトレンデル(フォクトレンダー)製のステレオカメラです。日本では大正時代終わりから昭和初期になりますね。4.5x10.7センチの乾板使用です、12枚収納する迅速交換式のバックが特徴でしょう。フジフィルム・クイックチェンジと同じ様な方式ですね。 レンズはヘリアー 65mmF4.5が付属で、当時の高級レンズですね。シャッターはコンパーステレオです、1秒から1/250秒までとコチラも高級ですね.
カメラ名 フォクトレンダーフレクトスコープ&
ハイドスコープ
製造国名 ドイツ・ゴルツ
製造年月 1927年 フィルムサイズ 6×13p 
シャッター ステレオコンパー 1/20〜1/250 レンズ Tessar 75o F4.5


F&Hの最初の製品は4.5×10.7cmと6×13cmの二つのサイズの三眼レフレックス・ステレオでハイデッケの名を取ってハイドスコープと名付けられた。基本的な構成は フォクトレンダーのレフレクトスコープと軌を一にしており、ハイデッケのフォクトレンダー在籍中の経験が生かされていることは疑う余地がない。しかし後発だけに改良されたり、 一歩進んだ面も見られる。その一つがファインダーレンズを撮影レンズより明るくしたことで、明るさと焦点深度の浅さの両面からピントを合わせ易くしていた。これはオットー・フリッケ の特許によるもので、その後のローライの全ての三眼および二眼のレフレックスカメラに応用されることになる。 ハイドスコープには127(4.5×10.7cm)、120(6×13cm)のロールフィルムを使うためのホルダーも用意されていたが、1926年にはまず120フィルム用ロールホルダーを作り込んだ ローライドスコープが発売され、翌1927年に127フィルム用も発売される。RollとHeidscopを足して、発音はほとんど変わらないが文字上Hを省いた命名である。 ハイドスコープ同様ローライドスコープも大成功となり、特に6×13cm判は1936年のベルリン・オリンピックの公式立体写真集の撮影にも使われ、世界的に名を馳せた。ローライドスコープは1940年まで作られた。
「二眼レフカメラ歴史」 最初の実用的なレフレックスカメラは、1928年のフランケ&ハイデッケのローライフレックス二眼レフカメラであった。何十年も前から一眼レフカメラも二眼レフカメラも存在したが、それらは人気を博すにはあまりに大きかったが、ローライフレックスは充分にコンパクトであった。1936年に、ハンザキャノン 近江屋写真用品よりハンザキャノン発売。270円。
1941年に、Kodak Ektra(米) コダックが発売した高級機レバー巻き上げ、巻き戻しレンジファインダー連動式
1948年に、Nikon 1 外観はコンタックスのコピーだが中身はライカに近い。
カメラ名 スポルト&エキザクタ 製造国名 ソビエト・&ドイツ・ケンゴット
製造年月 1935〜36年 フィルムサイズ 2.4×3.6p ライカ判
シャッター 1/25-1/500&12 - 1/1000 レンズ インダスターテッサー f3.5, .5 cm



世界初の35o一眼レフとして、言われていますが、どちらが早いか正確なことはわからないみたいですが、 35o一眼レフは1935年製造のスポルトが最初で,次が1936年に発売されたキネエキザクタが2番目と言われている。 スポルトは今までU型にあたる型かと言われてきたが,ソビエトが崩壊した後、最近色々出てきて、スポルトのT型なるカメラが判ったみたいである。一番上はベスト判のエキザクタである。
カメラ名 カンノンカメラ 製造国名 日本・キャノン
製造年月 1936年 フィルムサイズ 2.4×3.6p 135判
シャッター フォーカルプレン 1/20〜1/500 レンズ ニッコール5cmF3.5


1934年、キヤノンから国産初の35mmレンジファインダーカメラの試作機である「KWANON(カンノン)」が誕生しました。試作機「カンノン」は、観音様の慈悲にあやかり、世界で最高のカメラを創る夢を実現したいという願いを込めて名付けられ、レンズにもブッダの弟子の名前に由来する「KASYAPA(カシャパ)」という名前が付けられました。 また、カメラボディーの軍艦部には千手観音のマークが刻印されています。このカメラもコンタックスに良く似たレンズマウントで、ヘリコイドはカメラ側に付いていますが、径が小さくコンタックスとは全く違うマウントです。
カメラ名 MAMIYA-SIXT 製造国名 日本・マミヤ
製造年月 1940年 フィルムサイズ 6.0×6.06p 120判
シャッター NKSラピッドB、1-1/200秒 レンズ KOLスペシャル7.5cmF3.5


一眼式連動距離計と、ウェストレベル撮影用反射ファインダーを併設する。レンズは3群3枚上代光学製KOLトリオ7.5cmF3.5またはKOLスペシャル7.5cmF3.5、シャッターはNKSラピッドB、1-1/200秒。フィルムは一枚目を赤窓で出し、後は自動巻き止め。 マミヤシックスシリーズではフィルム面を前後に動かすバックフォーカス方式[注釈 1]を採用した。圧板が着脱式のため中古を入手する際にはちゃんと圧板が付属しているかがチェックポイントの一つとなる。戦争激化に伴い一時製造中止されたが戦後復活、1959年12月まで製造された。日本がアメリカ占領下にあった時期に生産されたモデルには「Made in occupied Japan」と刻印された個体がある。
カメラ名 マミヤ35T 製造国名 日本・マミヤ
製造年月 1949年 フィルムサイズ 2.4×3.6p 135判
シャッター コパル 1〜1/200 レンズ ヘキサー5cmF3.5


マミヤ6のバックフォーカシングシステムをそのまま縮小して採用しているため少しボディーが分厚くなってしまっているが、このため自然に右の親指にピント合わせダイヤルが、人差し指にシャッターボタンが振れるようになっている。レンズはヘキサー50mmF3.5、シャッターはコパルでB、1-1-200秒だが、ズイコーとメリット、シムラーとスタミナの組み合わせもあるとか。
カメラ名 ニコンS 製造国名 日本・日本工学
製造年月 1948年 フィルムサイズ 2.4×3.4p 135判
シャッター フォーカルプレーン B、1-1/500秒 レンズ ニッコール 5cmF2.0


1948年の年間生産台数は300台にも満たなかった。ライカ判は一画面に8個のパーフォレーションを使い画面サイズ24×36mmだが、このカメラは7個のパーフォレーションを使い画面サイズ24×32mmで40枚撮りのいわゆるニコン判/ニホン判である。 この独自の画面サイズのためアメリカのスライド自動裁断機で扱えずクレームがつき、少数の生産にとどまった。シャッターはライカのコピーであるがスローシャッターを一般のシャッターと同軸にして操作しやすくしてある。 シャッタースピードは高速シャッターがB、1-1/20〜1/500秒。距離計はコンタックス式のファインダー組み込みで、棒状プリズムを使う高級なものではないものの距離計ギアの位置を変更し距離計窓を隠す事故を防いでいる。距離計基線長は60 mm、倍率×0.6。巻き戻しノブはコンタックスより大型化されている。 スプールも当初コンタックス式の取り外し式だったが後期型は固定されている。製造台数はテスト用を含めて738台で、市販されたのはシリアルナンバー60922から609759。
 * カラーフィルムは現在のような「現像」によってフィルムに再現する方法では、1935(昭和10)年にアメリカのイーストマン・コダック社が発売いした「コダクローム」が映画用として誕生したのが最初です。 1936(昭和11)年には写真用としても発売され、同じ年にはドイツのアグフア社からも「アグフアカラーノイ」が発売されました。
*リバーサルフィルム 「コダクローム」は映画用えいがように開発かいはつされたのでフィルム上で正しい色が再現されており、現在では「リバーサルフィルム」(スライドフィルム)と呼ばれているタイプのフィルムです。 これに対して「ネガポジ法」を使ったカラーフィルムは、ドイツのアグフア社が1936(昭和11)年に実用化したとされています。 アマチュア向けとして発売されたのは1942(昭和しょうわ17)年にアメリカのイーストマン・コダック社が発売した「コダカラーロールフィルム」が初めてでした。
*カラーネガフィルム 日本では1941(昭和16)年に小西六が発売した「さくら天然色フヰイルム」と、1953(昭和28)年にオリエンタル写真工業の「オリエンタルカラーフィルム」がそれぞれ「カラーリバーサルフィルム」「カラーネガフィルム」として最初の製品となっています。