「 あさやんのカメラとの出会い 」













 私のカメラとの出会いは小学6年の頃に父からボルタ判の 「リッチレイ」カメラを買ってもらったのが最初です。
嬉しくて色々撮って歩いたのを覚えていますが、その後どうした かは不明ですが恐らく壊してしまったことでしょう。
中学2年の頃父の持っていた6×9判のベッサ(当時はドイツの カメラとしかわかりませんでした)を借りて撮ったのですが、ピン ボケばかり写したのを覚えています。
その後少し、間が空きまして20歳の頃にコニカオートSの中古 を買って頂き、又写真を始めました。
次に貰ったのがキャノンPで、父はキャノンRPを使用していましたが、 その頃は父が写真に夢中でした。(若い頃もそうっだったみたいです。)
その後社会人となり最初に買ったカメラはコニカのFPで、この頃 は余りお金もなくベッサのレンズを外し一眼レフに取付けて色々と楽し んでいました。
その後カメラはミノルタSR、ニコマート等と色々変わり、カメラも アサヒペンタック67を2台とマミヤRB67を持って歩くようになりました。
この頃は6×7判が流行し殆どの方が中判カメラでした。
その頃に発売されたのがトプコンのコンバーチブルホースマンで すが、スナップ用に非常に軽く大変魅力のあるカメラで、結構値段が高く なかなか買えないカメラでした。
ということで何とか自分でこのようなカメラができないかと作製し たのが通称「ユーフォ−ワイド」でした。
レンズはイコーフレックスのテッサー75mmF3.5で、フィルムバック はマミヤRBのを利用、レンズ鏡胴はミノルタの28mm用のフードを逆さに つけて作製し、スナップに利用しました。
 これが私の手作りカメラの始まりで、これ以後今まで続いています が、最近になりどういう訳かコンバーチブルホースマンの前部が手に入り 早速6×9判のカメラを早速作製しました。



「 あさやんのクラシックカメラの出発 」
 私の父が残してくれたライカDUから始まる、元来父もカメラが好きで、 色々なカメラを買ってくると私が使いにくいカメラと言いながらすぐに 売ってしまったり、壊してしまったりしていました、今から思うと大変 もったいないことをしたと思っていますが、興味の無いときはこんな ものです。
現在残っているカメラはカロベックスとマミヤ6とキャノンP位ですが、 これらを眺めている内になんとなく古いカメラを集めてみようと思った のがきっかけです。
当時は新聞に個人マーケット欄があり、新聞に出したら差し上げます との事でベストコダックを頂きました。
このカメラは昭和区の方でかなり年配のご夫婦で、奥様が大正時代 にお嫁に来たときに持ってきたカメラということでした。
お宅を訪れると部屋の欄間に大きな写真が飾ってあり、ご主人の実家 (たしか北陸)で持っていた船で、お祭りの時の写真だといって見えましたが、 昔は名主の家だった見たいです。
こういうようなことでクラシックカメラに興味を持ち集め出しましたが、 最初は闇雲に集めていたのですが、書棚が一杯になり、ある程度目標を 決めて集め出しました。
私の性格は何にでものめり込むので、最初に一眼レフと決めて 集め出しましたが、最初は種類で集めていたのですが、メーカー単位に なってきてどうにも無くなり結局150台位集まりましたが、珍しいものが あまり集まらなくなりましたので、次の目標を決め、余り場所を取らない ベスト判を集め出しました。
これも1年半くらいで100台を越え、現在は蛇腹の35mmと6×9判まで の一眼レフを集め出しました。
今後はどのような展開になるかわかりません。
 私はカメラの殆どを現在外国から購入していますが、最近は余り 珍しいものが出なくなり、収集台数も余り増えていません。




おねぎゃーがあるんだけどよー!!


 おみゃーさんとこによー、いらにゃーカメラやよー、故障したカメラが   

おりゃーしたら、是非わたしーんとこへ嫁入りさせてちょーだゃーなも!!。

 海老フリャーや天むすは送れせーんでよー、海老せんべーかよー、   

きしめんかよー、ういろを送ったますわー。                   

連絡ちょーだゃーなも!! ほんとだでーも。