プレスカメラ
第2次世界大戦中アメリカ軍のカメラマンはスピグラを使っていた。戦争中から昭和32年ころまでが最盛期だったと思われる。敗戦後、日本の新聞社はスピグラの高性能と占領軍や外国通信社に触発されてつかいはじめる。 そのころ新聞の写真はスピグラが一般的になる。スピグラ全盛期はそれから10年経たずに終わる。新聞社のカメラマンがスピグラを使っていたのは昭和30年代東京オリンピックまでで、スピグラから小型35ミリカメラ、ニコンSそしてニコンFに切り替えた。 これに右へならえをするように全部の新聞社のカメラが小型化した。
グラフレックスカメラは新聞社以外ではあまり使われなかったですね、山岳写真をやる人は大判カメラは4×5のリンホフが多かったですね、当時はリンホフは高値のはなでした。トプコンホースマンプレスはコマーシャル写真の分野で結構使われていました。 またマミヤプレスは安かったのとあまりレンズも評判が良くなかったのですが写真館で結構使われていましたね、初期型はリンホフをまねた形でそっくりでした。フジカ69は観光地などの記念写真屋さんが多かったみたいです。 一般のアマチュアでは大判というと2眼レフが多かったのですが1969年にはペンタックス67や1980年にはマミヤRB67が発売されて結構使われましたね、新聞社などでもそれまではハッセルなどを使っていましたが値段が安いのとレンズ性能などでペンタ67が使われましたね、 マミヤRB67は写真館でサブに使われました。その後カメラの小型化ということでセミ判の一眼レフがマミヤやブロニカからレンジファインダーは富士の645などが出ました。
グラフレックス
ブッシュプレスマン
リンホフテヒニカ
コニオメガラピッド
 
マミヤプレス
マーシャルプレス
トプコンホースマンプレス
フジカBL690